「The Sence of Wonder = 神秘さや不思議さに目を見はる感性」
この感性は、つまらない鈍った日常を一新する解毒剤。
当然のことながら、磨き続けなくては、衰え鈍ってしまう感性。
ヒトが体験できるこの世界のよころび、感動、感激は、
誰かと分かち合ってはじめて確かな経験となる、ヒトにとって必要な営みであること。
(子どもにとってはことさらに。だって、新しい出会いや発見が初体験ばかりですもの。一緒にその感動を分かち合ってくれる大人がひとりは絶対に必要。大人もだけど。)
日々、感覚、感性を問い直してみること。
私が感じていることだけで、日々は成り立ってはいないのだし、
退屈しているのは、自分自身の感性に対して退屈しているわけで、それは退屈なことだ。
子どもはこれからの未来を生きる人たちだ。
まだ、誰も生きたことなない未来を。
私たちの感性を、彼らに押し付けるのは時代錯誤なことなのかもしれないぞ。
彼らと一緒に、私たちも感性を開いていく、新しく感じ直していくことが必要。
この世界には、子どもがいなくちゃならない。神秘に目を見はって生きる人たちが。
彼らから、センス・オブ・ワンダーが奪われてしまったら、私たちは「いのちの在り処」を見失う気がするのだ。
なんか意に反して小難しくなってしまったのを反省しつつ、
ぜひ、どこかで手にとってほしい一冊なのでした。
『センス・オブ・ワンダー』
レイチェル・カーソン 上遠恵子訳 新潮社版 1996/7/25発行
20161015/hige21